チカラ 第7話



  奈穂は珍しく授業に集中することが出来なかった。
 昨日、祐介と話をしてから、何とかしてあかりと宏輝の関係を昔のような方法にするかを考えたのだが、なかなか良い方法が思い浮かばない。
 いくら友人だといっても、心の奥深くまで入り込むことは難しいのだ。どれだけ奈穂が考えても、結局二人の気持ちが変わらなければどうしようもない。
 奈穂は小さくため息をついた。
 自分の無力さが悔しいのだ。祐介のおかげで、二人の間に何があったのかは大体知ることが出来た。知っているのに何も出来ない、二人を助けられない自分が情けなく感じられた。
 落ち込んでいても仕方ない。今は自分に出来ることをしなくちゃいけないんだ。
 奈穂は自分自身にそう言い聞かせ、堀仁美にどういう風に話を聞こうか考えることにした。仁美はどこまで気付いていたのだろう。
 そっと仁美の席の方に視線をやると、仁美は黒板に書かれた文字を必死に書き写しているように見える。だが、何となく周囲のことを気にしながらの動作にも思えてきた。
 少し彼女のことを知ったことにより、先入観がうまれてしまったのかもしれない。奈穂はそう思った。
 仁美が自分を主張しないのは、昨日本人が少し言っていたとおり、周囲に対する恐怖心からだろう。なんだか奈穂には、宏輝と仁美が少し似ているように思えてきた。
 宏輝も自分の意見をほとんど主張しない。これは仁美と同じく恐れからくるものではないだろうか。もし昨日の話が本当だとすれば、この点も納得がいく。
 考えれば考える程、全ての原因は高田慶広の下らない嫉妬心だ、という結論にたどり着いてしまう。後は確証を得られればいいのだ。
 祐介の言っていた、グループの一員で高田慶広に不満を持つ人物という線が一番確実に確証を得られそうだが、どこまで信頼していいものかも分からない。
 高田慶広が何かを察知して、スパイとして送り込んできている可能性だって0ではない。
 祐介ならその辺は大丈夫だと思っているが、やはり他の線からも何か、有力な情報が欲しかった。別に裁判をやるわけではないから、確固たる証拠である必要はないのだ。祐介の情報に裏付け出来る何かがあれば、それでいい。
 奈穂もそれが出来る人物がいるとすれば、宏輝本人を除けば、仁美しかいないと思った。先ほど思った通り、仁美と宏輝はどこか似ているのだ。
 そして宏輝は驚くほどに他人を観察していた。奈穂が気付かないようなことを宏輝が発見し、驚かされたことは1度や2度のことでは無い。仁美もそういうタイプの人間であるように思えた。
 とにかくこの授業が終われば放課後だ。どこかで話をしてみよう。出来れば誰にも聞かれる可能性の無い場所の方が良い。その方が仁美も落ち着いて話が出来るだろう。
 うまく二人きりになれる場所が見つかればいいな。そんなことを思いながら、奈穂は機械的に黒板に書かれた文字をノートに写し取っていた。

 終業を知らせるチャイムがなり、形式的な挨拶を済ませ教師が教室から出て行ったのを確認すると、奈穂は堀仁美の席へと向かった。
「堀さん。今ちょっと時間ある?」そう言いながら、仁美の肩をたたく。
 仁美は昨日と同じように、大げさに背中をびくっとさせ驚いてから、振り向いた。
「あ、西川さん。時間は大丈夫ですけど……何ですか?」これも昨日と同じく、消え入りそうなかわいらしい声だ。
 奈穂は周囲の生徒達が不思議そうに、自分たちを眺めていることに気付いた。奈穂と仁美が話をしているのが珍しいのだろう。というか、仁美が誰かと会話をすること自体珍しいと言っても過言ではない。
 ここじゃ、まともに話せそうにないな。奈穂は瞬間的にそれを感じ取った。
「ここじゃちょっと話し辛いし、どこかに移動しない?出来れば2人になれるところが理想なんだけど……」
「それなら、小説部の部室に行きますか?部員は私一人なので、多分2人になれるとは思います」仁美が遠慮がちに言った。
 奈穂は心の中で小さく手を叩いた。学校内で2人になれる場所が、こう簡単に見つかるのは願ってもない展開だ。
「じゃあそこにお邪魔させて貰っていいかな?」
「全然構いませんよ。私についてきてください」そう言って荷物をまとめ出す。仁美の全ての行動にどこか遠慮のような物が感じられる。
「私も荷物とってくるね」奈穂はそう言い残し、自分の席に荷物を取りに戻る。
 その途中にあかりに一言かけておくことにした。部活に遅れてしまう可能性が高いからだ。
「ごめん。私ちょっと部活遅れちゃうかもだから、先生にいっといてくれない?」せっせと授業の後片付けをしているあかりに、声をかける。
 あかりは奈穂の方を振り向いて、言った。
「それは全然オーケーだけど。何かあるの?」
「んー、ちょっとね。少しでも早く話をしておきたい人がいてね。まぁ、そんなに遅くはならないと思うよ」
「そっか。先生にはちゃんと伝えておくね」あかりがうなずいて、言った。
「お願いねー」奈穂はあかりに言い残し、自分の席に戻り急いで荷物をまとめ、堀仁美の元へ向かった。
 仁美は奈穂が荷物を持って戻ってきたことを確認すると、「ついてきてください」と小さい声で言って、旧校舎の方へと歩き出した。
 水鳥学園は敷地が広く建物も多い。高等部は新校舎、旧校舎2つに分かれており、その他に体育で使うグラウンドや体育館、運動部の部室棟も存在している。
 普段の授業は主に新校舎で受ける。旧校舎は音楽室や家庭科室等の専門の教室がいくつかと、後は文化系の部活の部室として利用されている。
 仁美が向かっているのは、文化系の部室ということになるだろう。
 旧校舎の2階の一番隅っこに小説部の部室はあった。新校舎のものと比べて古くさい扉を開き、部室の中に入る。
 室内はきちんと整頓されており、壁に設置された本棚には、参考資料と思われる書籍がぎっしりつまっており、机の1つの上に原稿用紙やノートなどが置かれている。おそらく仁美が使っている席だろう。
 仁美は奈穂の想像通り物の置かれた席に座り、その隣の席を奈穂のために用意してくれた。  奈穂は用意して貰った席に腰掛け、仁美に話しかけた。
「小説部に入ってたんだ?やっぱり小説を書いたりしてるんだよね?」
「はい。読むのも活動の内ですが、書くのが中心ですね。といっても現在部員は私一人なのですが……」そういって照れくさそうに笑う。
 先ほどと比べて仁美の行動から、遠慮のようなものが少し薄まっているように感じられた。
 落ち着く部室に来たからなのか、奈穂と二人きりになったからなのかは分からないが、少し心を開いてもらえたようで嬉しかった。
「やっぱり書いたりするんだ。私は読む専門で書くのはなかなか出来ないから、憧れるなぁ」
「読むのが好きなら、きっと書けると思いますよ。それに、西川さんは優秀ですし」仁美は笑った。
 仁美のこういう笑顔を見るのは初めての気がした。やっぱり宏輝と似ているな。奈穂は心のなかで呟いた。
「そんなことないよー。文章とか中々上手く書けないもん。それと、西川さんじゃなくて、奈穂でいいよ。」
「呼び捨ては何だか気が引けるので……奈穂さんと呼ばせて貰いますね。私のことも仁美と呼んでくれて構いませんので」
「ありがと。とりあえず、改めてよろしくね。仁美」奈穂は笑顔を浮かべながら言った。
「はい。よろしくお願いします。奈穂さん」仁美も少し控えめはあるが、笑顔だった。
 奈穂は名前で呼び合うことで、一気に距離が縮まった気がした。そして、堀仁美という少し不思議な少女に自分が受け入れてもらえたみたいで、嬉しかった。
「そういえば、何か話があるということでしたよね?」仁美が思い出したように言った。
「そうそう。聞きたいことって言うのは、昨日話してもらったことの補足みたいな事なんだけど……」そこで一度言葉を切り、仁美の表情を観察してみたが、特に変化は無かった。
「あのね。私もちょっと色々なことを調べてみたんだけど、宏輝がいじめられてるみたいなことを感じた事って無い?」
「梶本君がいじめられていたんですか……?」
「もしかしたら、そうかもしれないの。多分パッと見で分かるようなことでは無いと思うんだけど……何か見てないかな。と思って」
 仁美は少し考え込んでから、口を開いた。
「もしかたら間違ってるかもしれませんが……。何人かの人が梶本君の教科書を持ってるのを見たことがあるんです」
「それ本当?」はやる気持ちを抑え込んで、なるべく冷静に努めて聞いた。
「持ってたというのは間違いないと思います。それがいじめられていたかまでは分かりませんが……。あと、サッカーの授業の時に、梶本君が怪我したときありましたよね?」
 奈穂は必死に記憶の糸を手繰り寄せてみる。そういえば、そんなことがあった気もする。一時期宏輝は良く怪我をしていた。それも高田達のせいだというのだろうか。奈穂は小さくうなずいて、話の続きを促した。
「その時、私体調悪くて見学してたんですけど、何か変な感じだったんです。妙に梶本君にボールが回って、その度に激しいタックルみたいのをされて、転んでました。危ないって思いながら見てたんですけど、今思えばそういうことだったのかもしれません」
 奈穂は正直驚いていた。授業を利用して怪我をさせるという高田慶広の手口にも驚いたし、ここまで事細かに覚えている仁美にも驚いた。
「よくそこまで細かく覚えてるわね」
「記憶力には、自信があるんです」また、控えめな笑顔を浮かべる。
「ありがとう。凄い参考になったよ!」そう言いながら時計をちらっと見る。結構な時間が経っていた。そろそろ部活に行かないとまずいかもしれない。
「ごめん。私もこれから部活だから、そろそろ行かなきゃ」
「部活、頑張ってくださいね。良かったら、また……話しかけてください」最後の方は照れくさいのか、聞き取りづらかった。だけど、仁美にそう言ってもらえたのは素直に嬉しかった。
「もちろんだよ!今度は一緒にお弁当とか食べようよ。私の友達と一緒にさ」
「その友達さんが迷惑じゃなければ……よろしくお願いします」
「うん。声かけるからね!それじゃ、またね」奈穂の言葉に仁美が「はい、またです」と返事をしたのを聞くと、奈穂は陸上部への部室へと急いだ。
 この時間で仁美との距離が一気に縮まった気がして、なんだか気持ちが明るかった。




  宏輝が目覚めると時刻は夕方近かった。昨日の夜は色々考えてしまい中々眠れなかったが、夕方まで寝てしまうとは思わなかった。
 今日もあかりの夢を見た。目が覚めて、今まで見ていたのが夢だと気付いた時、なんだか切ないような、虚しいような気持ちになった。
 夢の中では昔の宏輝とあかりだったのだ。ずっと夢が覚めなければ良かったのに……。宏輝は心の中で呟いたが、切なさと虚しさが募るだけだった。
 起きたばっかりなのに、宏輝の目からは涙がこぼれていた。
 そういえば、今日は小説を買いに行く予定だったのだ。何か逃げ場が無いと、どうしても考え込んでしまう。出来ることなら思考を停止させてしまいたかった。
 普段はあまり出かけたくない時間だが、今日はそんなことが気にならない。とにかく、本という逃げ道を確保しておきたい。
 宏輝は涙を拭いて、着替えをすませ、出かける用意をした。
 リビングには父親がいたが、声をかけずに家を出た。起きたばっかりの眼に、太陽がまぶしかった。昨日の天気とは正反対に晴れている。
 いつもの通りに駅に行き、電車に乗り込む。
 時間が時間だからか、学生服を着た人も多かった。宏輝は学生服を着た集団を見ると、落ち着かない気持ちになった。どうしても高田慶広のグループを思い浮かべてしまう。
 いつもの駅に着くと、今日もたくさんの人が降りた。学生服の集団はほとんどが同じだった。学校帰りに遊んでいくという魂胆なのだろう。
 本屋へ行くと、いつもとは比べものにならない位の人がいた。
 漫画を物色している集団、立ち読みをしている人達、見慣れたはずの本屋が、異世界のように感じられた。
 とりあえず小説コーナーへ向かい、適当に棚を見回す。人がいつもより多いので、棚を見るのも大変だった。
 気になった小説を何冊か手に取り、レジへと向かう。なんだか、ここに長居していたくなかった。妙ないやな予感がしているのだ。
 会計を済まし、店から出て、駅へと向かっている宏輝の背後から声がかけられた。
「あれ?梶本君じゃないか。こんな所で偶然会うとは思わなかったよ」その声は思い出したくない声だった。
 無視して突き進んでしまいたかったが、恐怖心からそれも出来なかった。
 仕方なく振り向くと、そこには予想通り高田慶広が立っていた。後ろには何人かグループのメンバーもいる。宏輝にとっては思い出したくもない顔ぶれだ。
「最近君、学校来てないみたいだね。それはまぁ、君の勝手だが、僕の忠告を破ったりはしてないよね?」
 宏輝はどきっとした。もしかしたら昨日あかりと会ったことがばれているのでは無いだろうか。
「……ちゃんと守ってるよ」
 確かに昨日、あかりと話したことは話したが、宏輝が望んでやったことではない。責められる道理は無いはずだし、そもそも流石にそこまでは気付いてないだろうと思った。
「ふーん。昨日、君が早坂さんの家に行ったっていう話を聞いてるんだけど?」冷酷な声だった。
「え……」
 宏輝は言葉を失った。次の瞬間、宏輝のみぞおちに、高田慶広の膝蹴りが決まっていた。宏輝は一瞬呼吸が止まったような気がした。
 後ろにいた取り巻き達が、周囲からの死角を作り出していたため、たくさんの人がいる場所でありながら、宏輝が蹴られたシーンを見た者はいないだろう。
「これは警告だからね。もし次、僕の忠告を破るようなことがあったら……分かってるよね?傷つくのは君じゃないんだよ。まぁ、彼女が辛い目にあってもいいっていうなら、好きにすればいいさ。決めるのは君だ」有無を言わさぬ口調だった。
 宏輝はうなずく他に無かった。
「分かってくれたならいいんだ。それじゃ、くれぐれも勝手な行動はしないことをおすすめするよ」
 そう言い残すと高田慶広達は宏輝に背を向け去っていった。緊張感から解放されたからか、蹴られたみぞおちが一気に痛み出した。
 宏輝は何が何だか分からなかった。
 何故高田慶広は自分があかりと会ったことを知っていたのか、何故自分がここに現れるのを知っていたのか。
 学校を休んでも、高田慶広から逃げることは出来ないと言うのだろうか……。
 やっぱり、あかりと話をすることは出来ないのだ。次は、あかりの身に危険が迫ってしまうのだ。宏輝には自分が忠告を破ったらあかりが何をされるのか、想像がついた。だからこそ、絶対に近づかない方がいいのだろう。
 単なる脅しかもしれないが、自分のせいで、これ以上あかりを傷つけるわけにはいけない。宏輝はそう思った。高田慶広には常識は通用しないのだ。
 とりあえず、家に戻ろう。宏輝はまだ身体は痛んだが、立ち上がり、駅へと向かった。
 電車は空いていたため座ることが出来た。電車に揺られていると、身体の痛みと共に、高田慶広の冷酷な笑いが頭に浮かんでくる。
 そして、あかりが高田慶広達に乱暴されている姿が浮かんでくる。それだけは絶対避けなければいけない。もう一度強く心に誓った。
 家に帰り、自分の部屋にたどり着くと、涙が止まらなかった。
 自分に対する情けなさ、やり場のない怒り、やっぱり消えることの無いあかりへの想い、全てが混ざりあった複雑な感情を制御することが出来なかった。
←第6話|第7話|第8話(未完成)→