チカラ 第5話



  窓の外では大粒の雨が勢いよく地面を叩いている。奈穂はここ数日は青空を見ていない気がしていた。1週間前のゴールデンウィークの陽気が何かの幻だったみたいに天気が悪い。今日も部活は中止で、自然と奈穂の気持ちもブルーになってくる。
 あれから1週間、高田慶広と同じクラスの女子の知り合いに話を聞いてみたのだが、あまり悪い評判を聞かない。
 頭のいい高田のことだから上手くやっているだけかもしれないが、もしかしたら自分の勘は間違っているのじゃないか。という不安も心の中に顔を出し始めていた。
 今日は同じクラスの女子に話を聞いてみよう。少し遠くから見ている人間くらいの方が、逆に何かに気付くかもしれない。高田慶広は有名人だから、このクラスの中にも動向を気にしている者は多いはずだ。
 4時間目の終了を告げるチャイムが鳴り、昼休みを迎えると生徒達は思い思いのグループを形成し、自分達の一番居やすい空間を作り出そうとする。
 とりあえずお昼ご飯を食べる前に、佐久間由梨恵に話を聞いてみよう。奈穂はそう思った。前に高田のことを好きらしいという噂を聞いたことがある。
 その噂を知っていて、話を聞くのは余り褒められたことではないが、今は躊躇っている場合ではない。少しでも情報が欲しいのだ。
 奈穂が由梨恵の席までやって来たとき、丁度由梨恵も席を立つところだった。由梨恵はサッカー部のマネージャーをやっていて、その仲間といつもお弁当を食べている。
 噂によると、由梨恵がサッカー部のマネージャーをやっているのは高田がサッカー部だかららしい。そういう風に特定の個人目当てで部活を選ぶ生徒も結構多いみたいだ。
「あ、奈穂。今もう行くからねー」奈穂の存在に気付いた由梨恵が言った。これはいつも奈穂が由梨恵の席を借りてあかりと弁当を食べているから、今席を空けるからね。という意味だろう。
「いつも席貸してくれてありがとうね」簡単なお礼をした後、続ける。「ちょっと話があるんだけどいい?」
「ん?なに?勉強のこと意外なら何でも聞くよー」楽しそうに笑って言う。奈穂の中で由梨恵はいつも笑っているイメージだ。
「由梨恵に勉強の事なんて聞こうと思わないわよ」と奈穂が言ったのを聞いた由梨恵は「ですよねー」と言いながらケラケラ笑っている。何がそこまで楽しいのか分からないが、何だか由梨恵のペースにのせられそうになる。
「ちょっとここじゃ話づらいから、廊下でいい?」隣の席でまだ授業のまとめをしているあかりに聞こえないよう、小さな声で言った。
「あいよー」の言葉を残し廊下に向かっていく。奈穂もその後に続いた。
「それで、話ってなにー?」
「えっと、高田慶広の事なんだけど……」やはり言い出しづらかったが、意を決して口を開いた。
「ん?高田君のこと?何で急に?」由梨恵は不思議そうな顔をしている。奈穂が由梨恵に高田の話をするのは初めてだから、それも当然のことだろう。
「もしかして……奈穂も高田君狙いとか?」
「いや、そう言う事じゃないんだけど、ちょっと気になることがあって」
「良かったぁ。奈穂に出てこられたら他の子がかすんで見えちゃうからねー。で、気になることってなに?」
「特に何かを聞きたいって訳じゃないんだけど……高田慶広ってどんな人なの?」
「どんな人って言われてもねぇ……勉強できるし、サッカーも凄い上手いよ。ただ、ちょっと自己中心的なとこはあるね」
「自己中心的でもサッカーって出来るものなの?」
 奈穂は団体競技というのは自己中心ではいけないと思っていた。全ての人間がピースになることで、チームという1つパズルを完成させるわけだから、自分を出そうとしたらバランスが崩れてしまうだろう。
「奈穂は分かってないねー。チームスポーツっていうのは、全員が全員いい子ちゃんじゃ駄目なんだよ。そりゃ基本はチームワークが一番だけど、、俺がやってやる!くらいの気持ちがある人もいた方がいいんだよ。高田君は見事にそのタイプかな」
 そう言った由梨恵は何だか得意げだった。普段は勉強とかを教わっている奈穂に、何かを説明するということが嬉しかったのだろう。
「でも、良く思ってない人も多いみたいだね。特に先輩には好かれてなさそう。そういうのを全部実力で黙らせてる感じで、それがまたかっこいいんだよね!」
 奈穂は由梨恵の話を聞いて、何か気味の悪さを感じた。前から思っていたが、自分に絶対の自信を持っているのだ。
 自分に自信を持っている人間は、他人に対する配慮が足りなくなる傾向があると奈穂は思っている。自分に自信が有る分、他人のことを気にしなくなるのだ。
 それが間違ってるとは言わないが、奈穂は好きではなかった。高田慶広のことを良く思わなかったのはそれが原因だろう。
「話してくれてありがと。貴重な時間を使わせてごめんね」
「いいよいいよ。その代わり今度また宿題写させてねー」笑いながらそう言い残し、マネージャー仲間の待っている教室へと向かっていった。  由梨恵から聞けた話は、今までの話の中で一番有意義に思えた。
 今までの話では、まさに完璧というような話っぷりだった。しかし、由梨恵は良く思ってない人間は多い。確かにそう言った。
 佐久間由梨恵は不思議な人間だと奈穂は思っていた。いつも笑っていて、言葉は悪いが馬鹿っぽいのだが、常識に縛られない物の見方をするのだ。だから、話をしているとたまに驚かされることも多い。
 だから多分由梨恵が感じた印象というのは、先入観に左右されない感じたままの印象なのだろう。
 そこまで分かっていながら1週間も由梨恵に話を聞かなかった自分が何だか情けなかった。冷静に考えれば一番最初に話を聞くべきだったはずだ。 「お、奈穂ちゃん。ちょうどよかった」
 教室に戻ろうとする奈穂の後ろから、祐介の声が聞こえてきた。奈穂が振り向くと、祐介は声を潜めて言う。
「色々調べてみたんだけど、色々分かってきたぜ。学校だと誰に聞かれるか分からないから、出来れば俺の家で話したいだが、今日の放課後大丈夫か?」
「うん。部活も中止だから、全然大丈夫だよ」
「よしきた。じゃあ放課後俺の家まで来てくれ。まだちょっと調べたいことがあるから、16時過ぎくらいに来てもらえると助かる」 「了解。この前みたいに家の前まで行ったら携帯で連絡する」
「お願い。んじゃ、今からもちょっとやることあるから行くぜ」祐介は足早に奈穂の元を離れていった。
 祐介はもう何かを掴んだということなのだろうか。もしそうなら、祐介に相談したのは大正解だったという事だろう。
 奈穂は放課後がやってくるのが待ち遠しかった。




  また小説を買いに行かなきゃな……。宏輝は今読み終わった小説を机の上に置き、そう思った。
 今から行っても良いのだけど、外は強い雨が降っている。雨は嫌いではないと言っても、流石にこれくらい降っていると、外出するのは面倒だ。
 明日に買いに行こう。と心に決め、ベッドに体を投げ出す。最近は学校に行かないで家でごろごろしているのにも流石に飽きてきた。
 最初の頃はどれだけ寝ても寝足りない気もしていたが、最近は昼寝をする気にもなれない。
 かといって、学校に戻るつもりもなかった。いつまでもこんなことを続けていてはいけないんだろうけど、今は学校や社会から逃げ続けていたかった。
 読む小説が無くなると途端に暇になり、突然部屋の模様替えをしたくなった。暮らす環境を変えれば、多少は考え方も変わるかもしれないと思ったのだ。
 とりあえず部屋の中の気になる所に片っ端から手を付けていく。元々比較的片付いている部屋な上に、特に模様替えの為の用意もしていなかったので、手を付けられる部分は少ない。
 クローゼットの中の整理をしていると、奥からほこりまみれの段ボール箱が出てきた。
 何が入っているのか気になり開けてみると、懐かしい品々が入っていた。宏輝が幼稚園の時に使っていたクレヨンやスケッチブック、父兄参観の時に作った紙のお面に、昔読んだ絵本等が詰まっている。宏輝は凄く懐かしい気分になった。懐かしさと同時に心の痛みも感じた。
 宏輝がその段ボールに入った思い出の品々を眺めていると、がちゃっという大きな音をたててドアが開いた。驚いて振り返ると、そこには日本にいないはずの父親と、パートに行っているはずの母親が立っていた。
「最近学校に行ってないんだってな?母さんから全部聞いたぞ。どこか身体でも悪いのか?」父の高明が宏輝に言う。その口調は冷静なような、怒りをなんとか隠そうとしているような微妙な口調だった。静恵は二人の様子を静かに見守っているようだ。
 宏輝はまず、面倒なことになった。と思った。あまり会うことは無いが、父親は無駄に頑固な人間なのだ。そんな父親が不登校など認めるはずがない。
 体調が悪いと嘘を言おうかとも思ったが、そうしたら病院に連れて行かれるだけだろう。
「別に……」
「じゃあ、何故学校を休んでいるんだ?」父の口調は明らかに宏輝を咎める口調だ。
「なんでって言われても……」宏輝はどうしていいか分からなくなってきた。人に責められると、何が何だか分からなくなってしまうのだ。
「なんだ?理由もなく休んでいると言うのか?」
 宏輝は黙り込んだ。正直なところ、自分でも完全に理由が分かっているわけではなかった。ただ、あの連中と一緒にいるのが嫌だっただけなのだ。それを父親に説明する気にはなれなかった。
 高明は目をそらすことなく、宏輝のことを見つめている。宏輝はその場から逃げ出してしまいたくなった。
「久しぶりに我が家に戻ってきたら、こんな状況になっているとは思いもしなかった。まさかお前に限ってこんな事になっているとは思わなかったよ」
 宏輝は何も言わずに、ただただ聞いていた。
「全く……家に戻ってきた時くらい、ゆっくりさせてもらいたいものだがね。どうしてこう心配事を増やすんだ。母さんがどれだけお前のことを心配していると思っているんだ?」
 宏輝には母親が自分を心配しているようには見えなかった。今まで何も言ってこなかったのだ。それでいて心配していたなど言われてもピンとこない。
 チラッと母親の方に目をやると、目を真っ赤にして2人の事を見ていた。
「水鳥学園に入ったと言うから、優秀な子に育っていたと思ったのだが、どうしてこんなことになっているんだ?」
 宏輝は徐々に感情を抑えられなくなっていた。父親の物言いが気に入らない。今まで散々自分たちの事を無視していたにも関わらず、こういう時だけ父親面をされても納得がいかない。
「黙っていたら分からんぞ。何か言ったらどうだ。何か気になることがあるなら、父さんに言ってみろ」
 父親のその一言で宏輝はついに耐えられなくなった。
「今まで連絡もしてこなかったくせに、突然出てきて父親面されても、話せることと話せないことがあるよ」
「なんだその言い方は。父さんはお前達を食べさせるために、世界中を飛び回って居るんだ。お前が今学校を休んで無駄にしている金だって父さんが稼いで居るんだぞ」
「母さんが心配してるっていうなら、もっと早く電話してくるとかいくらでも方法あったと思うけど?もう5月も中旬だよ?」
「仕事が忙しかったんだ。仕方ないじゃないか。それに今は父さんの仕事の話は関係ないだろう。今しているのは宏輝の話だ」
 この父親にはどれだけ話をしても無駄だと宏輝は思った。結局昔と同じだ。仕事のことばっかりで僕の話を聞くつもりなんて無くて、父親っぽく振る舞いたいだけじゃないか。心の中で毒突いた。
「もう1度聞く。何で学校を休んでいるんだ?これ以上父さんや母さんに恥をかかせないでくれ。水鳥学園に入ったってことで、お前は注目されているんだ」
 宏輝はもうこれ以上父親と話をしたくなかった。これ以上話しても不快になるだけだ。「もういいよ……」宏輝はそう言い残すと、立ち上がり自分の部屋から出て行こうとする。
「ちょっと宏輝」と静恵が声をかけたが、宏輝はそれを無視して階段を降り、傘も差さずに家を飛び出した。
 とにかく同じ空間にいたくなかった。人の話を聞かずに、自分の意見を押しつけるだけの人間とは何を話しても無駄だ。

 家を飛び出して走り出したはいいが、宏輝はどこへ行っていいか分からなかった。強い雨の中をひたすら走り続け、見覚えのある公園にたどり着いた。
 こんなに走るのは久しぶりだったので、到着したときには息も切れていたし、身体が汗で濡れているのか、雨で濡れているのか分からなくなっていた。
 ベンチに腰を下ろし、息を整える。強い雨が降っているだけあり、他の人影は見あたらなかった。宏輝の呼吸音と、雨が地面を叩く音しか聞こえない。
 傘を持ってこなかったのは失敗かな……。少し冷静になった宏輝は思った。
 父親のことを思い出すと、また感情がこみ上げてくる。これだから大人は嫌いなんだ。自分勝手で、自分の面子だけを考えている。結局自分の面子を守りたいだけだ。あの父親から自分が生まれてきたというのが信じられなかった。
 人間は自分のためにしか生きれないのだろうか。宏輝は自分のために何かをするというのが嫌いだ。一生懸命やって、自分だけが何かを得たとしても、なんだか虚しくなるだけな気がした。
 だけど、多くの人間は自分のために生きているように見える。人間に生まれてきたのが間違いだったのかもしれない。そんな事を考えて自嘲的に笑った。
 宏輝は気分を変えようと周囲を見回してみる。この公園にくるのは久しぶりだ。宏輝にとってこの公園は思い出の詰まっている場所でもある。ここはあかりの家の近くで、良く遊んだ場所なのだ。
 宏輝は無意識の内に、この公園に向かって走っていた。どうしていいのか分からなくなって、心の中に確かに残っている楽しい思い出にすがろうとしたのかもしれない。
 普段は思い出したく無いと思っている思い出なのだが、今はなんとなく思い出に浸ってしまいたかった。
 色々なことを思い出す。楽しかった日々のこと。色々な事を考えず無邪気に笑っていた日々のこと。少し大人になり、あかりのことを女子として意識しだした日々のこと。思い出す度に、ちょっと幸せな気分になり、辛くなる。
 辛くなるのは分かっていても、やめる気にはなれなかった。過去にすがりついていたかった。
「ひろくん!?」  突然名前が呼ばれた。なんだか懐かしい感覚だ。聞き覚えの有る声、あかりの声だ。宏輝は一瞬幻聴かと思い、地面を見つめ続けていた。  雨が身体に当たらなくなったことに気付き、顔をあげる。そこには早坂あかりが立っていた。
「こんなところで傘もささずに何してるの?」心の底から心配そうな声で、あかりが言った。
「ん。ちょっと父さんとね……」宏輝はどう答えていいか分からなかった。
「そんな全身濡れてたら風邪ひいちゃうよ。とりあえず私の家においで。着替えた方がいいよ」
「それは、迷惑になっちゃうからいいよ……」宏輝はそういいつつも、少し嬉しかった。久しぶりにあかりと話を出来たという事が嬉しいのだ。 「今誰もいないから、気にしないで。とにかくとりあえず家まで行こう?」そう言って笑いかける。懐かしい笑顔だ。
 宏輝は立ち上がり、あかりの後を着いていった。あかりは一緒に傘に入れてくれようとしたのだが、流石にそれは断った。相合傘なんてしたら、あかりまでびしょ濡れになってしまう。それほどに宏輝の身体はびしょ濡れだった。
「家についたら、まずシャワー浴びていいからね。その間に着替え出しておくから。お父さんの洋服になっちゃうから、ひろくんにはちょっと大きいかもだけど、我慢してね」
 宏輝は最初に感じた懐かしさの正体に気付いた。それは、あかりの自分に対する呼び方だ。「ひろくん」というのは、昔仲が良かった頃に、あかりが呼んでいた呼び方だ。
 最近は「梶本君」という呼び方になっていた。おそらく宏輝があかりに対する呼び方を「あかり」から「早坂」に変えた時からだろう。
 宏輝はあかりの後ろを歩きながらもどうしていいのか分からなかった。裏切ったのは自分の方なのに、何故あかりが自分にここまでしてくれるのか分からない。
 あかりの優しさに甘えてしまっていいのか不安になる。そんなことを考えてる内にあかりの家に着いていた。公園から歩いて5分もかからないのだ。
 まずは言われたとおりにシャワーを浴びさせて貰った。雨に濡れ冷え切った身体に、熱いお湯が心地良かった。
 浴びている途中に、あかりが着替えを脱衣所まで持ってきてくれたときは少しどきっとした。もう、宏輝もあかりも高校生なのだ。
 シャワーからあがり、用意してくれた服はサイズは少し大きかったが気にならなかったが、少し懐かしい感覚になった。宏輝はあかりの父親に懐いていたのだ。
 自分の父親がほとんど家にいなかったから、自分の父親のように慕っていた。そういった過去があるからこそ、先ほどの父親の態度は気に入らない。
 着替え終わると、あかりの部屋に通された。
「今洋服を乾燥機で乾かしているから、乾くまでちょっとそれで我慢しててね」
「ありがとう」とお礼をいいながら、宏輝は感心していた。いつの間にそんなことを出来るようになったのだろう。宏輝の記憶の中でのあかりは、ほとんどが幼いままなのだ。なんだか違和感がある。
「なんか、こうやって話すのも久しぶりだね」沈黙を作るのを嫌うように、あかりが口を開く。
「確かに、久しぶりだ」宏輝はどういう風に話をしていいのか分からなかった。昔のように話しかけて良いのか、それともやっぱり距離をとっておいた方が良いのか分からない。
 宏輝自身の気持ちとしては、戻れるものなら昔のように戻りたかった。だけど、どうしても頭の中に高田慶広の影がちらついてしまう。宏輝とあかりの仲を引き裂いたのは、高田慶広なのだ。
「寒かったりしたら言ってね。温度調節するから」
 宏輝はあかりの声を聞いていると、なんだか心が落ち着くような気がした。
「ありがと。でも今は大丈夫だよ」
「それなら良かった」そう言って笑顔を浮かべる。幼いときと変わらない笑顔。何もかもが懐かしかった。
 それからもあかりは沈黙を作らないように、話題を振ってくれた。宏輝は心の中で葛藤しながら、あかりと会話を続けていった。
 あかりと話しているのが一番落ち着くのは確かだった。祐介や奈穂と話をするのとは、やっぱりちょっと違うのだ。だけど、高田慶広のことを思い出すと、落ち着かなくなってしまう。どうしても、忌まわしい思い出が蘇ってくるからだ。
 どうしても心の中に壁を作ってしまう。あかりと接するということに、恐怖を感じてしまうのだ。
 結局、昔のように接することは出来ずに、時間だけがすぎていった。
 1時間近くそんなことを続けていたころ、あかりの携帯に着信があった。あかりは電話の相手を確認すると「お姉ちゃんだよ」と言った。
 電話をかけてきたのは姉の美沙希らしい。宏輝が何も言わずにうなずくと、あかりは電話に出た。
 あかりと美沙希は宏輝について話をしているようだった。おそらく母親あたりが、姉を使って居場所を探しているいのだろう。
 それは助かるような気もしたし、余計なことのようにも思えた。あかりと話をしていたい自分と、心に壁を作ってしまう自分の葛藤だ。
 家に帰りたくないのは確かなのだが、あかりに迷惑をかけてしまう訳にもいかないという問題もある。
「梶本君と変わって欲しいって言ってるよ」あかりがそう言って、自分の携帯電話を宏輝に渡す。
「もしもし」宏輝はあかりから電話を受け取ると、姉にむかって言った。
「なんか大変だったみたいだね。今から着替え持って迎えにいくからさ。とりあえず宏輝も父さんも落ち着いて、話をしてみるべきだと思うよ」
「帰るのはいいけど、話はしたくない」宏輝は正直な気持ちを言葉にした。
「分かった。じゃあお父さんの説得は私がやるからさ、とりあえず迎えにいくね。じゃあもっかいあかりちゃんに変わってくれる?」
 宏輝は携帯電話をあかりに差し出しながら「ありがと」と言って携帯を渡した。あかりと美沙希が少し会話をして、電話が切れる。
「とりあえず、これで安心だね」あかりが笑いかける。宏輝ははにかみながらうなずいた。なんだかあかりの笑顔に照れてしまったのだ。
 それからも、姉が来るまで話をしていた。話し出した最初の頃よりは、上手くしゃべれている。宏輝はそんな気がした。
 来客を知らせるチャイムがなり、姉がやってきた。宏輝は脱衣所で、姉から受け取った着替えに着替える。その間美沙希とあかりの笑い声が聞こえていた。二人は今でも本当の姉妹のように仲が良い。
 宏輝が着替えを終えると、三人は玄関に向かった。
「今日は、色々とありがとう」宏輝があかりに言う。
「ううん。全然気にしないでいいよ。声をかけたのは私の方だしね」
「今乾かしてる宏輝の洋服は、宏輝に直接渡してもいいし、私に渡してくれてもいいからね」
 あかりが美沙希の言葉にうなずくと、美沙希が続けて口を開く。「よし、じゃあ行きますか。あかりちゃんもまたお話ししようね!」
「うん。また電話するね。梶本君も、またね」
「またね」宏輝はどう返事をするか迷ったが、普通に別れの挨拶をした。それに続いて「それじゃまたね」と美沙希が言うと、宏輝と美沙希は早坂家を後にした。




  放課後、奈穂は16時までの時間潰しも兼ねて聞き込みを続けていた。
 部活が中止の日は、あまり学校に残らずにあかりと一緒に帰るのだが、今日はちょっと用事があると言って、学校に残った。
 本心では今すぐにでも祐介の家に行って話を聞きたかったが、16時を指定されてしまった以上そうする訳にもいかないだろう。
 雨が降っているからかは分からないが、校内に残っている生徒は少ない。教室を見回しても奈穂の他に数名の生徒が雑談をしているだけだ。
 今居る生徒達には既にちょっと話を聞いているため、これ以上教室で聞けることは無さそうだ。移動の時間を考慮しても、まだ時間は30分近くある。奈穂は場所を移してみることにした。
 雨が降っていても人のいそうな場所ということで、図書室に行ってみることにした。
 図書室の扉を開くと、そこでは何人もの生徒が思い思いの本を読んでいる。奈穂も図書室で本を借りることはあるが、ここで読んでいくことは少ない。
 バイトをしていないため、金欠なことが多い奈穂にとって無料で本を借りることが出来るのはありがたかった。
 1時間近い通学時間を潰すために読書をすると、驚くほどのペースで読み進むのだ。いちいち買っていたら、お金が足りなくなってしまう。
 話を聞ける人はいないかと思い、本を読んでいる生徒を見回してみる。
 眼鏡をかけた一人の女生徒が目にとまる。同じクラスの堀仁美だった。彼女はおとなしく、ほとんど話をしているのを見たことが無いが、確か中学の時宏輝と同じクラスだったはずだ。
 水鳥学園は中学の3年間はクラス替えというものが無いので、今年で4年連続同じクラスということになる。話を聞いてみる価値はあるかもしれない。  本を読んでいる仁美の元に近寄り、声をかける。
「読書中ごめんね。ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
 突然声をかけられた仁美は背中をびくっとさせ、大げさすぎる程に驚いて、奈穂の方を振り向いた。自分が人に話しかけられるなど思ってもみなかった、という様子だ。
「あ、西川さん。私に聞きたいことですか……?」
 消え入りそうな小さい声だった。あまり意識して仁美の声を聞いたことは無かったが、かわいらしい声をしている。
「宏輝、の事なんだけど。確か中学の時同じクラスだったよね?何か変わったこととか無かったかなぁと思って」
「宏輝……梶本君のことですか?最近学校に来てないみたいですもんね」
「そうそう。それで、ちょっと色々調べててね。堀さんにも話を聞いてみようかな、って思ってね。何でもいいの。何か思い当たる事とかあったら教えてくれない?」
「梶本君……なんか中学の途中から雰囲気が変わりましたよね」
 仁美の話を聞いて奈穂は驚いていた。正直言って仁美が地味な方である宏輝の中学時代ことを本名までしっかりと覚えていて、変化にも気付いているとは思わなかった。てっきり「そんな人いましたね」位の話しか聞けないと思っていた。
 もしかしたら仁美のような大人しい人間こそ、周囲のことをしっかりと観察しているのかもしれない。
「確かに変わったよね。宏輝の雰囲気が変わった原因とかに心当たりあったりしない?」奈穂は駄目元で聞いてみた。
「間違ってるかもしれませんが……なんとなくなら分かる気がします」
 奈穂は仁美のその言葉を聞いたとき、自分の耳を疑った。まさか、仁美がそこまで分かっているとは話しかけるときには想像もしていなかった。
「間違っててもいいから、聞かせてくれない?」
「えっと……私が言ったってことは秘密にするって約束してくれますか?」
「分かった。約束するよ」
「分かりました。西川さんなら、信じても大丈夫な気がします」
 奈穂はまた驚いた。仁美が自分なら信じても大丈夫といった理由が分からない。話すのは初めてと言っても過言でないのだ。そんな奈穂のことを信じても大丈夫とは、それだけ周囲の人間を観察しているということだろうか。
 奈穂は自分が認められた気がして、少し嬉しかった。それが顔に出てしまっていたのか、仁美は奈穂の事を不思議そうに見つめながら、続けた。
「一時期、2,3ヶ月くらいだったと思います。梶本君に高田君達のグループが接触してた時があったんです。少ししたらそれは無くなったんですけど、それから何か変わった気がします。私がそう思うだけなので、間違ってる可能性は高いと思いますが……」
 周囲に聞かれまいとするような小さな声だったが、高田君という言葉を聞いたときに、奈穂の中で全てが繋がりかけているような気がした。仁美の言葉が正しければ、自分の勘は間違ってなかったことになる。
 それと同時に、仁美がそこまで気付いていたことに少し疑問を抱いた。他の誰からもそんな話は聞けなかったのだ。
「話してくれてありがとう。他の人は全く気付いてないみたいだったから、凄い参考になったよ」
「私、高田君達のグループが怖くて、観察してたんです。だから気付いたのかもしれません。結構自然普通は気付かないような気もします」
「そっかぁ。本当に話してくれてありがとうね。今日はちょっとこれから用事有るんだけど、また今度話しようよ」
「今度ですか?一体何の話を?」
「うーん。今度は世間話とか、堀さんの事とかかな!聞きたければ私のことも話すしね」そう言って笑いかける。
 奈穂はいつの間にか堀仁美という人間に興味を抱いていて、また話をしてみたいと思ったのだ。奈穂の言葉を聞いた仁美は、何だか照れたような表情をしていた。
「それじゃ、私そろそろ行かなきゃだから……またね!」
「はい。またお話ししましょう」照れくさそうに笑いながら仁美が言ったのを聞くと、奈穂は図書室を後にし、祐介の家へと向かうことにした。  そろそろちょうどいい時間だろう。
 奈穂は仁美から聞いた話に手応えを感じながら、祐介の家へと歩き出した。

 奈穂が祐介の家の前に到着すると、見ていたかのように祐介が現れた。
「よっ。待ってたぜ」そう言った祐介の服装は制服では無く私服だった。見る度に祐介の私服姿は中々センスがいい。
 奈穂は祐介に言われる通りに家の中に案内される。今日は祖母の姿は見えない。
 祐介の部屋に到着し、この前と同じ座椅子に腰をおろすと、奈穂はすぐに口を開いた。
「で、分かったことって何なの?」祐介の分かったことを聞いてみたかった。その後、自分が仁美から聞いたことを話そうと思っていた。
「お、なんかやる気満々だな。どうやら奈穂ちゃんの勘通り、宏輝とあかりちゃんがおかしくなったのは、高田慶広が絡んでいるみたいだ。まだ確証が有るわけではないんだが、かなり信頼の出来る情報だと思う。」
 やっぱり堀さんの言ってたことは間違ってなかったか。奈穂は心の中で呟いた。
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