チカラ 第10話



  宏輝が目を覚ますと朝の8時だった。どんな話をされるのかが気になって、中々眠れなかったし、早く起きてしまった。
かといって特に眠気があるわけでは無い。頭はスッキリとしている。
祐介と奈穂は10時に来ると言っていた。早く10時が来て欲しいような気もするし、永遠に10時が来ないで欲しいような気もする。期待と、恐怖が入り交じった複雑な感情だ。
時間が近づけば近づく程、不安な気持ちが強くなってくる。なんだか祐介や奈穂に責められるのでは無いかと思えてくる。
こんな時でさえ後ろ向きに考えてしまう自分が嫌で仕方がない。何度も大きく首を横振り、感情を振り払おうとしてみるが、そんなことは無意味で、一瞬振り払えたとしても、すぐに新しい感情が浮かび上がってくるだけだった。
そんな意味のないことをひたすら続けている内に、時刻は10時近くなっていた。
ここまで来たら、もう覚悟を決めなきゃな。宏輝が心の中で誓った瞬間、宏輝の携帯電話に着信があった。相手は当然祐介だ。
意を決して電話を手に取る。すぐに祐介の声が聞こえてきた。
「家の前まで来たんだが、どうすればいい?」
今家には母親も姉もいる。宏輝は玄関まで迎えに行くことにした。
「今、そっち行くよ。ちょっと待ってて」宏輝は電話を切ると、一つ大きく深呼吸をして立ち上がり、階段を降りて玄関に向かう。
扉を開くと、祐介と奈穂が何やら話をしていた。この3人になるというのは、凄く久しぶりな気がする。
宏輝の存在に気がついた二人はほぼ同時に「おはよう」と挨拶をした。宏輝も「おはよ」と返し、とりあえず上がってもらうことにした。
宏輝を先頭に、祐介、奈穂の順番で自分の部屋へと向かう。途中母親が出てきて挨拶を交わした。宏輝の家に友達が来るのは久しぶりだったから、驚いている様子だった。
宏輝としては一刻も早く部屋に行ってしまいたかった。ここまで来てしまえば、もはや話を聞くしかないのだ。あれこれ考えるより、話を聞いてしまった方が楽だろう。
母親も自分の息子の友達と長話をする気はないようで、少し言葉を交わしただけでリビングルームに引っ込んでいった。
改めて自分の部屋へと歩を進める。いつもと同じはずの階段がいつもより長く感じられた。祐介と奈穂は何も言わずに宏輝の後ろを着いてきている。その沈黙が宏輝の緊張を高めていった。
「散らかってるから、どっか適当に座っちゃって」部屋にたどり着くと宏輝が言った。言わないでも多分流れでそうなったのだろうが、沈黙に絶えられなかったのだ。
祐介と奈穂は軽く返事をして、床に腰を下ろした。何だか2人とも少し緊張しているように見えた。少しの間流れた沈黙を破ったのは奈穂だった。
「宏輝の部屋に来るのって凄い久しぶりだなぁ。中1の時以来じゃない?」
「あー、確かにそうかもね」中1の時、高田慶広が宏輝に"忠告"をする前は、あかりと3人でテスト前の勉強会をしたりしたものだ。それを思い出して少し切なくなった。
「だよね。懐かしいなぁ」奈穂が呟いた。祐介がしゃべり出すのを待っているように宏輝には感じられた。当の祐介は何かを考えているような様子だ。
話の切り出し方を考えているのだろうか。宏輝はこの間に耐えられなかった。自分から話を切り出すことにした。
「今日は、何か用があるから来たんだよね?」
「ああ。ちょっと大事な話があってな」祐介が待っていたかのように口を開いた。凄く真面目な口調だ。「実は、俺と奈穂ちゃんで宏輝の過去のことを色々調べさせてもらった」
宏輝は一瞬祐介が何を言っているのか分からなかった。過去のことを調べたとはどういうことだろう。
「ん?どういうこと?」
「俺と奈穂ちゃんは、お前が学校に来なくなった理由を調べたんだ。お前が来ないと何だか張り合いがなくてな」
宏輝は祐介の話を黙って聞く事にした。二人がどこまで知っているのか気になったのだ。奈穂も話をするのは祐介に任せ、宏輝と同じく黙って聞くことにしているようだ。
「お前には悪いと思ったが、全てを調べさせてもらった。何が起こったかという事実に関しては、大体把握しているつもりだ」
そう言って祐介は宏輝の経験したことをすらすらと話し出した。
宏輝は正直言って驚いていた。高田慶広の"忠告"、そしていじめの事。祐介の話している事は全て身に覚えがあった。
「なんというか、お前も大変なことに巻き込まれたものだな。当事者では無い俺まで嫌な気分になるような話だ。調べれば調べるほど、高田慶広に対する怒りは大きくなるばかりだったぜ。率直に聞くが、お前が学校に来なくなったのは今話した出来事のせいなんだろ?」
宏輝は心のどこかで、祐介が助けてくれるかもという期待を抱き始めてくれた。
「きっかけは高田慶広だよ」宏輝は正直に全てを話すことにした。「僕はどうしていいか分からずに、逃げてしまったんだ。正直言って、人間と話をするのが怖かった。いや、今も怖いよ。祐介や奈穂は大丈夫なんだけどね」
「ひどい話だよなぁ。俺は、宏輝は何も悪くないと思うぜ。もし宏輝に何か悪いところがあったとするなら、運が悪かったんだろう」
奈穂は祐介の言うことに同意するようにうなずいている。宏輝はなんとなく祐介の言葉を受け入れたくなかった。自分にも非があったと思っていたいのだ。
そう思ってないと、あまりに理不尽な高田慶広の行動に怒りが湧いてくるだけだ。怒りは何も生まない。宏輝はそう考えていた。
「そんなことないさ。僕がもっと強かったら、多分今の結果にはならなかったし、早坂を傷つけることも無かったと思う」
「話を聞いた限りだと、俺にはそうは思えなかったけどな。高田慶広達のグループに一人で勝とうとするのは、正直言って無謀だ。奈穂ちゃんもそう思うだろ?」
「私もそう思う。恥ずかしい話だけど、私はそんなことが起こっていたなんて全然気付かなかった。悔しいけど、高田慶広は頭がいい。それにあかりは、まだ宏輝の事を気にしていると思うよ」話を振られた奈穂が答えた。
「ようするに、高田慶広に目を付けられてしまったのが、運が悪かったんだ」祐介が二人の意見をまとめるように言った。
「じゃあ、僕はどうすればよかったっていうの?」宏輝は分からなかった。運が悪いだけで、ここまで人生が変わってしまうということはありえるのだろうか。
「まぁ、話を聞く限り、その時点でどうにかするのは無理だったかもしれないな」
「やっぱり僕が……」宏輝が発言しようとしたのを制して、祐介が口を開く。
「だがな、今ならどうにでも出来る」強い口調。意思がはっきりとした口調だった。
「今更何が出来るというのさ」
「実はな、俺たちはある情報を入手しているんだ。今日ここにやってきたのは、宏輝の過去をほじくり返すためじゃない。その情報を伝えるためだ」
「情報?」これから祐介がどんな話をするのか全く想像がつかない。
奈穂の方に目をやると、奈穂はまっすぐと宏輝の方を見つめていた。宏輝と祐介の成り行きを見守っているのだろう。
「明日。高田慶広はあかりちゃんに告白するつもりらしい」
「え……」宏輝は言葉を失ってしまった。祐介の言葉が信じられなかった。信じられないというより、信じたくなかったのかもしれない。
それと同時に、宏輝の心の中で全てが繋がった気がした。高田慶広があかりに好意を寄せていたとすれば、宏輝がいじめられた理由も分かるのだ。
「これはあくまでも噂の域を出ないのだが、あかりちゃんも少し満更じゃないらしいぜ。高田慶広はあかりちゃんの心の弱みにつけ込んでいるんだ」
宏輝はショックだった。何よりもあかりが高田慶広の事を悪く思っていないというのがショックだった。
「早坂の心の弱みってなんなのさ……?」宏輝はどうしていいのか分からなくなってきた。心が落ち着かない。
「それは俺より、奈穂ちゃんが話した方がいいだろう」祐介が奈穂にパスを渡す。
「あかりの心の弱み、それはね、宏輝、あなたよ。口には出さないけど、あの子は宏輝のことを凄い心配している。二人の間に何があったのかは分からない。だけど、あかりを助けてあげられるのは、宏輝のはずなんだよ」奈穂がパスを受け、落ち着いた口調で言った。
宏輝は奈穂の言っていることが信じられなかった。僕がつけた傷を、僕が治すというのは何だかおかしい気がする。
「でも早坂の事を傷つけたのは僕だ」
「だが、それは高田慶広のせいだろ?宏輝、あんまり自分を責めるな。奈穂ちゃんの言いたいことは、まだ宏輝とあかりちゃんの関係は元に戻れるってことだ」
元に戻れる。それは本気で言ってるのだろうか。宏輝には凄く難しいことのように感じられる。
「私はそう思う。だってあんなに仲が良かったんだもん、それがたった一人の行動でおかしくなるなんて間違ってる」
間違ってる。それは宏輝も何度も思ってきたことだ。高田慶広の行動はどう考えても間違っている。
だけど、宏輝はどうしようも無いと思い、半ばあきらめていたのかもしれない。
「本当に、そう思う?」すがるような気持ちで言った。
「嘘でこんなこと言わない。あかりは絶対に今もまだ宏輝の事を気にしている。私は本気でそう思ってる」
宏輝は、この前の雨の日の出来事を思い出していた。確かに、宏輝のことを本気で嫌っていたらあんなことはしてくれないはずだ。もしかしたら希望があるのかもしれない。
そんなことを思ったが、高田慶広の顔を思い浮かべると、どうしても躊躇してしまう。自分が傷つくのは構わないが、あかりを傷つけさせるわけにはいかないのだ。
「宏輝、お前の気持ちは何となく分かる。高田慶広が気になるんだろ?」
図星だ。宏輝は何も言わずにうなずいた。
「俺はさっき"前は出来なかったかもしれないが、今ならどうにでも出来る"って言っただろ?その意味が分かるか?」
「さぁ……」分からなかった。今も前も、宏輝と高田慶広の間の状況はほとんど変わっていないはずなのだ。
「今は、俺がいる。俺が、高田慶広の好き勝手にはさせねぇよ。個人的な感情としてもな、許せないんだ。高田慶広のような人間は」
「私だっている。前は気付いてあげられなかったけど、今は全てを知っている。だから、チカラになれることが絶対にあると思う」
二人の口調ははっきりとしていて、宏輝に対する明確な意思表示だった。
宏輝は二人の言葉をどう受け止めて良いのか分からなかった。昨日の時点でもしかしたら味方になってくれるかもしれない、と少し考えたが、実際こうやって言われるとなんだか照れくさかったし、悪いような気もした。
宏輝の中で姉との会話が思い出される。
――「もし、それを邪魔する人が現れたらどうすればいいの?」「戦って勝つしか無いんじゃないかな」
「相手が勝てないくらいの強敵だった場合は?」「だから、そういうときこそ誰かに助けてもらうのよ。一人では倒せない敵も二人以上なら倒せるかもしれないじゃない」――
祐介と奈穂が、助けてくれると言っているのだ。それを断る事はないかもしれない。だけど、高田慶広の事が少し心配だった。
奈穂や祐介までもが自分のせいで傷つけられてしまうのは絶対に避けたい。
「だけど、失敗したら奈穂や祐介も……」
「そんな心配は必要ないぜ。俺たちを信じてくれ」
「うん。そんなこと気にしないで大丈夫。絶対うまくいくから」
宏輝は涙を堪えることが出来なかった。祐介や奈穂がそう言ってくれたのは嬉しかったし、そんな二人のことを今まで信じてこなかった自分が情けなかった。
「まぁ、色々言ったが、決めるのはお前だ。宏輝のしたいようにすればいいさ。ただ、今日がとりあえずのラストチャンスということを忘れるな」
ラストチャンス。明日になれば高田慶広が行動を起こすのだから、宏輝が行動するには今日しかないということだろう。
「祐介、奈穂……」宏輝は大きく息をついて、一つの決心をした。「本当にありがとう。僕、ちょっとあかりの所に行ってくる」
もし上手くいかなくても、何もしないで高田慶広にとられてしまうよりは納得できるだろうし、祐介や奈穂がいてくれることに安心感があった。
「おう。お前ならそういうと思ってたぜ。精一杯、やってこい。高田慶広のことは、とりあえず俺たちに任せとけ」
「応援してるから。宏輝とあかりなら、きっと元通りになれる」
祐介と奈穂のエールを受け取り、宏輝は立ち上がった。
だけど、宏輝は元通りになるつもり等なかった。宏輝はあかりに謝って、その後自らの思いを伝えようと思っていた。高田慶広に先を越されそうだったというのが許せないのだ。
そして、今はいつもより少し自信があった。奈穂の言葉を信じてみることにしたのだ。
「それじゃ、行ってくる」宏輝はそう言い残すと部屋を出て、あかりの家へと走り出した。


「上手く行ったみたいね」二人残された宏輝の部屋で奈穂が口を開いた。
「ああ。俺はこうなると思ってたぜ」祐介は少し自慢げだった。
「多分これで、あの二人は上手くいきそうね」奈穂は心からそう思った。もしかしたら、前以上に仲良くなるかもな。そんなことも考えた。
「そうだな」祐介は気合いを入れ直して口を開く「俺たちもあかりちゃんの家に向かうぞ!」
「え?私たちも行くの?」邪魔者になってしまいそうで心配だった。
「別に宏輝とあかりちゃんの邪魔をしに行く訳じゃないさ。松野から聞いた話だとな、高田慶広は他校の生徒に常にでは無いが、あかりちゃんと宏輝の行動を監視しているらしい」
「それ本当なの……?」奈穂は驚きを通り越して、呆れてしまっていた。
「間違いないんだろう。それでこの前宏輝があかりちゃんと会ったのをしって、"忠告"と称して、宏輝に暴力をふるったらしいな。全部松野から聞いた話だが、やることがいちいち最悪だな」
「ひどい……。本当に最悪ね」
「ああ。とにかく行こう。もうこれ以上高田慶広の好き勝手にはさせない」
奈穂と祐介は、宏輝の後を追いかけ、あかりの家へと向かった。




 宏輝は走りながら、あかりになんと言おうかを考えていた。伝えたいことはたくさんあるのに、どうやって言葉にしたらいいかが分からない。
迷っている内にあかりの家の近くまで来てしまった。
走ってきたので息が荒い。まずは息を落ち着けようと、深呼吸をした。
こうなれば出たとこ勝負だ。大事なのはきっと言葉じゃない、気持ちを伝えることが大事なのだろう。
呼吸が落ち着くと、もう1度深呼吸をして気合いを入れた。ここからが大事なのだ。
せっかく落ち着いた心臓の鼓動が、また早くなっていくのを宏輝は感じていた。
指が震えそうになるのをなんとか抑え、あかりの家の呼び鈴を押した。急いで家を飛び出してきたものだから、携帯電話を家に置き忘れてしまったのだ。
早坂家のドアが開くまでの時間が宏輝には永遠のように感じられた。これまでの人生で一番緊張しているかもしれない。先程の決意のせいだろう。
カチャリ。と控えめな音を立てて、早坂あかりが姿を現した。
「梶本君!?」あかりは宏輝の存在に気付くと、声をあげた。
「久しぶり。今日はちょっと話があって来たんだ」出来る限り落ち着くように努めて言った。
「話?とりあえず、ここで話すのもなんだし、中に入る?」
「そうしてもらえると嬉しいかな」話が長くなるかもしれないから、そっちの方が都合がいいと思った。
玄関で靴を脱ぎ、早坂家に足を踏み入れる。
なんだか昔は広く感じたあかりの家が、なんだか前より少し小さく感じられた。それだけ宏輝が大きくなったということだろう。この前はびしょ濡れだったし、こんなことを考える余裕など無かった。
今だって緊張はしているが、何だか周りはよく見えた。心地の良い緊張だ。
あかりの部屋に入ると、何だか懐かしい感じがした。雰囲気が3年前とほとんど変わっていないのだ。あかりも中学生から高校生になり、大人っぽくなったが基本的な雰囲気は変わらないのと同じだろう。
宏輝は自分が前回来たときより落ち着いていることを確信していた。前回は気付かなかった色々なことに気付けている。それだけ心に余裕があるということだろうか。
勧められた場所に腰を降ろすと、あかりがお茶を用意してくれた。ここまで走ってきて、少し喉が渇いていたから、ありがたく頂くことにした。
そして、あかりが自分のためにお茶を用意してくれたというのが、嬉しく思えた。
昔は普通に思えていたことだけど、最近は押し殺していた感情だ。祐介や奈穂が居てくれるということで、少し解放された気がする。
「それで、話って何?」あかりが言った。内容が気になっているようだ。今朝の宏輝と同じ感じなのかもしれない。
宏輝は一つ大きく息をついて、心を落ち着け、口を開く。
「今日は、謝りに来たんだ」
「謝るって……何を?」あかりが遠慮がちに言った。心当たりが無いということは無いだろう。
「なんというか……ここ数年のこと、全部を謝りたい」出来るだけ気持ちを込めて言った。
あかりは黙っている。言葉を探しているのだろうか。それとも、今更謝罪に来た宏輝に怒っているのだろうか。
「ごめん」そう言って頭をさげる。
自分が突き放した理由を説明しようかとも思ったが、聞かれても無いのに説明しても、言い訳っぽく聞こえてしまう気がして辞めた。
何も言わずに下を向いていたあかりが顔を上げると、頬に涙がつたっていた。
あかりの涙を見るのは、本当に久しぶりな気がした。あかりは、人前ではほとんど涙を見せないのだ。
宏輝はあかりの涙を見ると、いてもたっても居られなくなる。あかりが辛いなら、助けてあげたいと思う。それは昔から変わらなかった。宏輝や両親達がそう思うことを知っているからこそ、あかりは人前で涙を見せないのかもしれない。
だけど流石に今は、どうしていいかが分からなかった。傷つけてきたのは自分自身のはずだ。
「何で……。何でだったの?」後半はほとんど涙で言葉になっていなかった。だけど、宏輝にはあかりが何をいいたいのかすぐに理解できた。
「ちょっと面倒なことに巻き込まれてね……」
宏輝はどう説明して良いのか分からなかった。話してしまった方がいいのか、まだ隠していた方がいいのか、判断がつかない。
「面倒なこと?」あかりは説明を求めているようだ。そして、あかりには知る権利があると思った。
宏輝は手短に全てを話した。高田慶広のこと、今日までのこと、そしてこれからのこと。まだ高田慶広との全てが終わったわけではないのだ。むしろこれからが本番といってもいいかもしれない。
全てを聞き終えたあかりは、言葉を失っているようだった。あまりに衝撃的だったのだろう。
「全部、本当の話なんだよね……?」簡単に信じることはできないだろう。
「うん。僕は嘘をついてない。なんなら、祐介や奈穂に確認してもらってもいい。あの二人は独自で色々調べてくれたみたいなんだ」
「最近三澤君と奈穂が仲が良かったのはそう言うことだったんだ……」あかりが呟いた。
「でも、理由はどうであれ、僕があかりを傷つけたのは事実だと思う。だから、何度でも謝るよ」また頭を下げる。そうしなければいけない気がしていた。
宏輝は自分の気持ちを全て言葉にしていた。そうするのが、あかりに対するせめてもの罪滅ぼしだと思えた。
「ううん。謝る必要ないよ。仕方なかった事だと思う」ゆっくり言葉を選んで、あかりが言った。「てっきり私が何かしちゃったのかと思ってた……」溢れ出る涙を抑えようともしていなかった。
宏輝は、今こそもう1つの目的を果たすべきだと思った。祐介と奈穂と話して少し出てきた自信の芽が、あかりと話している内に蕾となり、花開いたように思う。
言うなら今しかない。今日が、ラストチャンスなんだ。心の中で祐介の言葉が思い出されていた。
「今日は、もう1つ話があるんだ」胸の昂ぶりを体中で感じながら、言葉を紡ぎ出す。
「この3年間で、気付いたことがある。それまで一緒にいるのが当たり前だったのが、色々あって一緒にいることが出来なくなって、強く感じることが出来た。僕には、早坂の――」そこまで言いかけて、自分の間違いに気付いた。僕はあかりとの間の時計を3年前に戻そうとしているんだ、呼び方も戻すべきだろう。「いや、あかりのチカラが必要なんだ」
「ひろくん……」あかりが呟いた。呼び方が変わっただけで、何だか少し昔に戻れた気がする。
だがこれで満足してはいけない、ここからが気合いを入れなければいけないのだ。宏輝は自分の気持ちを全てぶつける覚悟を決めた。
「3年ぶりにまともに話をしたのにこんな事を言うのはおかしいかもしれないけど、今だからこそ言いたいんだ。僕は、あかりの事が、好きです」
どうしても照れくささがあって、最後の方は小声になってしまった。そして、何故か敬語になってしまった。
あかりは驚いているようだった。宏輝が何を言ったのかが分からないような顔をしている。少しの間の沈黙。
宏輝はなんだか気まずかった。言ってしまったことが間違いであるように思えてきた。
「ひろくん、私も……ずっと、ずっと好きだったんだよ」あかりの眼からは涙が溢れ続けていたが、口調ははっきりとしていた。
あかりのその言葉を聞いたとき、宏輝の目からも涙がこぼれてきた。
「だから、最近は辛かったんだ」あかりが呟くように言った。小さい声だったが、宏輝の心には大きく響いてきた。
「だけどね、今は凄く嬉しいんだ。辛かったことを忘れちゃうくらいに嬉しい。嬉しいのに、なんで泣いてるんだろうね」そう言って笑ってみせるが、あかりの眼から涙が止まることは無かった。
宏輝はそんなあかりの姿が愛おしくて、肩を抱き寄せて、出来るだけの感情を込めて、言った。
「本当に、ごめん」
「ううん。何かこうやってひろくんに触れられるのも久しぶりだね。昔はよく手をつないでいたのに」
「確かにそんな時もあったね」照れ隠しの笑いを浮かべながら言った。
昔のように肩を抱き寄せたはいいが、宏輝は大人になりつつある、あかりの成長にどきっとしていた。
しばらく無言でお互いのことを感じあっていたが、宏輝が沈黙を打ち破るように口を開く。
「月曜日から、学校に戻ろうと思うんだ。高田慶広のことは気になるけど、今なら負けない気がするんだ。奈穂や、祐介、それに、あかりがいてくれる」
「うん。私はいつだってひろくんの味方だから。そうだ!月曜日から、朝迎えに行くね!久しぶりだし、そっちの方が行きやすいでしょ?」
「ありがと。久しぶりだし、色々あって緊張するけど、あかりが一緒ならがんばれる。そんな気がするよ」
「うん!7時半頃、家に迎えに行くから、用意しておいてね」そういって笑う。涙は止まったようだが、あかりの眼はまだ赤いままだった。
そのまま少しの間肩を抱き寄せたまま、会話をしていた。
いつまでもそうしていたかったが、宏輝は家に奈穂と祐介が待っているはずということを思い出した。
「家に祐介と奈穂が待っていると思うから、そろそろ行かなきゃ」
「じゃあ、私も一緒に行くよ。あかりと三澤君にお礼を言いたいんだ」
「それじゃ、一緒に行こうか」
宏輝とあかりは立ち上がり、お互いに顔を洗って、宏輝の家に向かうことにした。




 奈穂は祐介と高田慶広の正面衝突を見つめていた。
祐介の言ったとおり、あかりと宏輝を監視していた人間がいて、祐介がそいつに話をしたら、高田慶広を呼ばれたのだ。
高田慶広は何人かの取り巻きを引き連れて、現れた。取り巻きの中には松野俊の姿もあった。
祐介は高田慶広に食ってかかった。今日決着を付けようとしているようだった。祐介は「俺は全て知ってるんだ」と言って、高田慶広の悪事の例をいくつか挙げた。
今はまさに一触即発という状態だ。
「色々かぎ回ったみたいだけど、三澤君には関係の無い話でしょ?」
「そんなことはねぇ。俺の友達の問題は、俺の問題でもある」
「ふーん。まぁ、どうしても邪魔をするっていうならいいけどね。君に僕の邪魔をすることが出来るのかな?」そう言ってクスリと笑った。
奈穂が高田慶広の本性を知っているからかもしれないが、ものすごく気味の悪い笑いに感じられた。祐介は脅しなど気にしないといったつもりで言い返す。
「ああ。出来るさ。お前が自分のやり方にこだわるというなら、俺は俺のやり方でやらせてもらうぜ」
「好きにすればいいさ。だけど、駄目だったときどうなるかは分かってるんだろうね?」高田慶広はどこまでも脅しをかけるつもりだ。
「駄目だった時なんてものは有り得ない」祐介は少々感情的になっているようだ。
「ふーん。じゃあそこまで言うなら、駄目だったときには君のお友達にも責任をとってもらおうかな」そういって奈穂のを方を見た。
奈穂はその高田慶広の視線にぞっとした。得体の知れない何かを感じたのだ。だけど、ここで負けてしまっては駄目だと思った。
「祐介の言うとおり失敗するなんてありえないのよ」
ちょうどその時、早坂家の玄関から宏輝が出てきた。奈穂は、まずい……と心の中で呟いた。
「噂をすれば僕の忠告を破った君のお友達が出てきたようだ。君も、彼も、後悔することになっても知らないからね」
「よく見ろよ。負けたのはお前の方みたいだぜ?」
その祐介の一言で、全員が宏輝の方に注目をした。宏輝の後ろからはあかりが現れた。
うまくいったんだ!奈穂は心の中でガッツポーズを作った。
「ふん。別に構わないさ。僕にとってはたいした問題じゃない。また、同じ事になるだけさ。そんなことより忠告を破った友達の身を心配した方がいいんじゃないかな?」精一杯強がっているようだった。
「お前の負けだな。これ以上食らいついても惨めなだけだぞ」そう言ったのは松野俊だった。
「おい、松野。何故お前が僕にそんなことを……」高田慶広は目に見えて動揺している。信じていた松野に裏切られたのだ。
「何故って、俺はお前みたいなガキの仲間になったつもりはねーよ」松野は冷たく言い放った。
高田慶広は膝と手をアスファルトの地面についてしまった。
宏輝に負けてしまった上に、信じていた松野に裏切られてしまった。プライドが高く、これまで失敗をしてこなかった高田慶広にとって耐え難い事なのだろう。
その姿は凄く惨めだったが、奈穂は同情することは出来なかった。
松野の裏切り、そして高田慶広の今の姿を見て、他の取り巻き達も興醒めしてしまったようで、声をかけることも無く帰って行った。元々不満はかかえていたのかもしれないし、元々その程度の絆だったのかもしれない。これで少しは懲りただろうか。
「月曜日、楽しみにしとけよ」言葉を失っている高田慶広に、祐介が無慈悲な言葉を投げかけ、宏輝達の元に歩きだした。
祐介はまだ何かを考えているということなのだろう。なんだか祐介を敵に回した高田慶広が、ほんの少しだけ、可哀相に思えたが、自業自得なのだ。
奈穂も祐介の後を追いかけ宏輝とあかりの元へと向かった。




 宏輝は自分の見た光景に眼を疑った。
早坂家の玄関から外に出ると、何だか人だかりが出来ているのが見えた。穏やかな雰囲気ではなかっ。よく見るとその人だかりには、祐介に奈穂、そして高田慶広とその取り巻き達が集まっている。
宏輝はまた自分の行動が伝わり、高田慶広がやってきたのだと思った。
祐介と奈穂が何故ここにいるのかは分からないが、恐らく対立しているということは想像できた。
様子を知ろうと思い、少し近づこうとした時、人だかりに変化が起きた。
全員が宏輝の方を注目したのだ。宏輝は一瞬身の危険を感じた。この前本屋で起こった出来事を思い出したのだ。祐介はともかく、女の子のあかりや奈穂が狙われる危険性もある。やっぱり浅はかだったのだろうか。
次の瞬間、宏輝は何かの魔法を見せられているようだった。
高田慶広の取り巻きの一人が、何かを言うと、高田慶広は地面に手と膝をついた。様子がよく分からない宏輝とあかりは、意味も分からないまま呆然と眺めていた。
しばらくすると、取り巻き達が、高田慶広を残して帰って行った。
一体何が起こったというのだろう。全く意味が分からなかった。
祐介が何かの言葉を高田慶広にかけ、自分たちの方に向かってきた。奈穂も祐介の後ろからこっちにやってくる。
考えても分からないなら、祐介に聞けばいい。宏輝はそう思った。
「何が起こったの?」宏輝は自分の元にやってきた祐介に尋ねた。
「見ての通り、俺たちは勝ったんだよ。あの高田慶広の姿を見てみろ」
宏輝は意味が分からなかった。宏輝があかりと話をしている間に何があったのだろう。
「まぁ、こんなもんじゃ済まさないけどな。これで分かったろ?一人じゃ勝てなくても、チカラを合わせれば勝てるんだ」祐介の言葉は珍しく感情的に聞こえた。
宏輝は感動していた。まさか1日でここまで話が進むとは思っていなかったし、こうなってみると今まで悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてしまう。
そして自分の周りにいる3人に心の底から感謝したかった。その気持ちを伝えておきたいと思った。
「皆、本当にありがとう。今まで色々迷惑かけちゃいました」深々と頭を下げる。それがせめてもの礼儀だと思った。
「気にすんなって。俺は自分のしたいことをしただけだ」
「私だって祐介と同じだよ。自分の意思でやったことだから、気にしないで」
祐介と奈穂がそれぞれ言った。あかりは何も言わずにほほえんでいた。もう言うことはないという事なのだろう。
「それと、さっきあかりには話したんだけど、月曜日から学校にも行こうと思うんだ」
「おー、それはいいな。俺たちはその為に今日までやってきたんだから。だよな?奈穂ちゃん」
「うんうん。やっぱり宏輝がいないとねー。あかりもそう思うでしょ?」
「そりゃあね。ひろくんと一緒に入った学校なんだから、一緒に卒業したいよ」
その時、奈穂が何かに気付いたように言った。
「そういえば、あかりと宏輝がそう言う風にお互いのことを呼んでるの久しぶりに聞くなぁ」
宏輝は何だか照れくさかった。自分とあかりの関係が少し3年前とも変わったことを気付かれたような気がしたのだ。
いつかはばれる事なのだろうが、なんとなく今は二人だけの秘密にしておきたかった。
「そうそう。俺も何か違和感感じてたんだよな」奈穂に同意するように祐介が言う。
「私はむしろこっちの方が落ち着くけどね。昔に戻ったみたいで」
「ちぇ。俺だけ仲間はずれかよー」
祐介がそう言って笑うと、宏輝とあかりと奈穂もつられて笑っていた。
人間ってのも案外悪くない生き物なのかもな。雲一つ無い青空の下、軽くなった心で、宏輝はそんなことを考えた。
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