チカラ 第1話



  お昼のニュースの時間です。
 テレビの画面が切り替わり、アナウンサーらしき人物がそう言ったのを聞いた瞬間、梶本宏輝はテレビの電源を消した。
「ニュースなんか見たくない…」
 吐き捨てるようにそう呟くと、ベッドの上に身体を投げ出した。
 しばらくニュースなんて見ていない。見ていないというより、見ないようにしている、と言った方が正しいかもしれない。
 宏輝はなんだか憂鬱な気分を吹き飛ばすように頭を振る。
 窓の外からは、雨音が聞こえてくる。このしとしとと降り続ける雨が暗い気分に拍車をかけているのだろうか。
 別に雨が嫌いな訳ではない。むしろ憎らしいほど澄み渡った空よりは好きなくらいだ。
 しかし、この静かながらも休み無く降り続く雨はどうしても気分を暗くしてしまう気がして、どうせならもっと豪快に降って欲しいと思う。
 喉の乾きを感じた宏輝は、階下に降りて飲み物を飲むことにした。
 最近この時間は家に一人だ。母の静恵はパートに出ているし、姉の美沙希は大学へ行っている。
 父の高明は仕事が忙しく、家にはほとんど帰ってこない。日本にいないことも多いようだが、ほとんど話をしないため今どこにいるのかすら知らないのだ。
 一人で居る方が気楽だった。例え家族であっても、気を使ってしまう。宏輝はそういう性格なのだ。そして、そういう自分の性格が嫌いだった。
 静恵がパート勤めをしているのは、宏輝にとって幸運だった。
 高明の収入は決して悪く無い。本来なら静恵がパートに出る必要なんて無いのだが、自分で使うお金は自分で作りたい。という静恵自らの主張でパート勤めをはじめた。
 ブランドのバッグや財布等を買うために始めたことを宏輝は知っていたが、自分にとって何か不都合が有るわけではないので大歓迎なのだ。
 それが母にとっての幸せならば、好きにすればいいと思う。

 1階にある居間に降りる、薄暗い部屋の中に人影は無く、雨音が聞こえてくるだけだった。
 その光景を見たとき、一瞬不思議な感情が浮かんだ気がした。自分でもよく分からない得体の知れない感情だった。
 あまり前向きの感情では無かった。ということだけなんとなく分かる。その感情は分からない方が良いように思えた。知らない方が幸せであるように思えた。
 そんな感情を振り切るように冷蔵庫からお茶を取り出し、一気に飲み干した。冷たいお茶が喉を通りすぎる感覚が非常に心地よい。
 この瞬間は最近の僕の人生で数少ない"幸せ"と思える瞬間なのかもしれない。そんなことを思った。
 退屈でつまらない日々の中に見つけた些細な幸せってやつだ。
 自分の部屋に戻った宏輝はこの後どうするかを考えてみることにした。
 そう言えば昨日小説を読み終わったんだっけ。新しいのを買いに行くことにしよう。最近テレビという物をを見なくなっている宏輝にとって、読書は数少ない娯楽の1つだ。
 最近は読書とパソコンで暇つぶしをしている時が多い。本もパソコンも、一度開けば現実とは違う世界にいける気がするから好きだ。
 本の中には他の誰かが作り出した空想世界が広がっている。一冊一冊違う世界が広がっている。現実世界のようだが、決して現実では無い世界。
 その中で、ある者は事件に遭遇し、ある者は悲劇的な終わりを迎え、ある者は愛を語り合い、ある者は失恋に打ちひしがれる。
 全ての本の中にある世界を一つにしたら、現実世界のようになると思う。だけど、本当の現実よりはよっぽど面白い世界になると思う。
 その世界の住人全てには何らかのドラマがあるから。幸せか不幸せかは分からないが、本の中の住人は平凡な日常は送らないのだ。
 そして、パソコンの中にも現実とは全く違う世界が広がっている。だけど、本の中の世界と比べたら全然現実の世界に近い。
 小さな箱を介し、世界中の人間がそれぞれの自らの住みやすい世界を形成しているのだ。
 勿論その世界には自分自身が参加することが出来る。自分自身が登場人物の一人になれる。自分の嫌なところを隠し、自分の好きな自分を演じられる世界だ。
 ある意味で現実世界に不満のある者達の集まりと言える。その世界は宏輝にとっては現実世界よりもよっぽど居心地が良かった。
 確かに居心地は良いのだけど、そういう世界に逃げてしまう自分のことも嫌いだった。宏輝はとにかく自分のことが嫌いなのだ。
 自分の全てが醜い物のように思えてくる。自分に良いところなんて全くないように思えてくる。
 そして、そんな風に思えてしまう自分がまた嫌で、完全な悪循環に陥っていた。
 時計にちらっと眼をやると、昼の12時前を差している。この時間なら昼飯も食べてこよう。
 出かけるなら早い方が良い。本屋に行くとすれば少し遠出するため、有る程度時間がかかるはずだ。
 宏輝は夕方くらいの時間になる前に外出を終えると決めている。
 近所にも本屋は有ることは有るのだが、品揃えも良くないうえに、そこの店員と会うのが好きではなかった。
 だからいつも本を買うときは、少し遠出をするようにしている。
 いつも行っている本屋はこの街の中心部にあり、その辺に行けば大体の物は揃うほどで、週末は人が集まっている。
 宏輝は出かける支度を済ませると、いつも使っている黒い傘をさし、家を出た。




  西川奈穂はノートを取りながら、窓の外で降り続ける雨を恨めしげに睨み付けていた。
 このままだとグラウンドが使えない。そうすると5,6時間目の体育の授業が潰れ、教室で行う保健の授業になってしまうし、部活でもグラウンドが使えなくなる。
 体育は奈穂の一番好きな授業だ。特にこの後予定されていた授業は、週で1番楽しみにしている授業なのである。
 奈穂の通う水鳥学園(みどりがくえん)では、グラウンドで行われる体育と、体育館で行われる体育に分かれている。
 グラウンドでは主に陸上や球技が行われ、体育館では器械体操が中心となる。
 身体を動かすのが好きな奈穂は、どちらの授業も好きだったが、グラウンドの授業の方が好きだった。
 奈穂は陸上部に所属していて、1年生ながら既に将来のエースとして期待されているほどで、とにかく走るのが好きなのだ。走っていれば色々な事を忘れられる気がした。
 こうやって雨に降られてしまえば、走ることも出来なくなってしまう。
 しかし、天気に文句を言ったところでどうにもならないね。そう考えた奈穂は気持ちを切り替えることにして、前をむき直した。
 教壇では奈穂の所属する1年C組の担任でもある、英語教師の黒川が教材のCDを流すための機材を操作していた。
 英語の授業だって嫌いではない。奈穂は身体を動かすのが好きだが、勉強もしっかりやる。と決めている。
 陸上をやっているから成績が落ちた。とは思われたくないし、陸上を頑張ってるから成績が落ちても仕方ない。と思われるのも嫌だった。
 それに勉強だってつまらない物ではない。分からないことが分かるようになっていくのは、案外面白いものだ。そう思っていた。
 ふと、一つの空席が目にとまった。
 今日も宏輝は休みか…。心の中でそう思う。
 ここ最近梶本宏輝が学校に姿を見せていなかった。心配してメールを送ってみたりもしたのだが、詳しいことは話してくれない。
 宏輝とは中学時代からの友人だ。中学の時は大体学校で姿を見かけたのだが、高校に進学して少し経った頃から、姿を現さなくなっていた。
 水鳥学園は小学校から大学まであるのだが、宏輝も奈穂も中学校から入学した。
 共通の友人を通して知り合って以降、友人としての付き合いが続いている。
 そういう友人が学校を何日も休んでいる。というのは気がかりだ。おそらくこれだけ休んでいるということは、体調を崩しているわけでは無いだろう。
 今度家まで押しかけてやるか。そんなことを考えていると、4時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 昼休みになり、教室は一気に騒がしくなる。仲の良い者同士が集まり、昼食を食べる用意をはじめたのだ。
 持参した弁当を食べるグループ、学校の食堂に向かうグループ。それぞれのグループが思い思いの行動をしている。
 この昼休みという状況で一人で居るというのは、やはり寂しいものがある。奈穂も自らの席を立ち、友人の元に向かうことにした。
 奈穂が早坂あかりの席に到着したとき、彼女はまだ授業の後片付けをしていた。おそらく授業が終わってからも、授業の内容をノートにまとめて居たのだろう。
 あかりは努力家で、その努力を人にひけらかすことをしない。奈穂はあかりに対してそういう印象を持っている。そして、そういう所が好きなのだ。
 二人が出会ったのも中学校の時だった。奈穂と宏輝の共通の友人というのが、この早坂あかりなのだ。
 奈穂が聞いたところによると、あかりと宏輝はいわゆる幼馴染というやつらしい。幼稚園の頃から一緒だったとか。
 中学の入学式の日。ようするに中学校生活の最初の日に奈穂とあかりは既に打ち解けていた。二人とも明るい性格で、仲良くなるのに時間はかからなかった。
「あ、奈穂。今日はお弁当?」
 奈穂の存在に気付いたあかりが、口を開いた。
「そうだよー。一緒に食べようと思ってさ」
 そう言いながら、あかりの隣の席に腰掛ける。そこは佐久間由梨恵という女生徒の席で、いつもあかりと昼食を食べるときはこの席を借りている。
 奈穂は交友関係が広く、この佐久間由梨恵という生徒ともそこそこ仲が良かった。
 二人は弁当の用意をすると、昼食をとりはじめた。あかりが食べ始める前に手を合わせて「いただきます」と言ったのが、なんだか微笑ましかった。
 奈穂もあかりに合わせるように「いただきます」と言って、食べ始めた。
「今日も自分でお弁当作ってきたの?」
 奈穂がそうあかりに問いかけると、あかりは口に入っていった物をしっかりと飲み込んでから答えた。
「うん。お弁当は私の仕事だからね」
 あかりの弁当を覗き込むと、綺麗な彩りで非常に美味しそうだ。あかりは料理が得意なのだ。奈穂はあかりの料理の腕前を尊敬していた。
「やっぱり凄いなぁ。私じゃどう足掻いてもそんなお弁当作れなそうだもん」
「そんなことないって、奈穂ならちょっと練習すれば出来るようになるよ」
 そんなことは無いな。奈穂はそう思っていた。このレベルになるまであかりは相当練習したはずだ。
 中学の時、指に絆創膏を巻いて登校する姿を何度も見た。おそらく全てが料理の練習中に負った傷だろう。
 あかりがそれだけ努力して磨いた腕に、自分が努力したって敵うわけがない。謙遜なしにそう思っていた。奈穂はそれだけあかりのことを認めているのだ。
 その後も適当に雑談をしながら昼休みの時間を過ごしていくことにした。
 話題は今降っている雨のことから、昨日見たテレビのこと、今日のここまでの授業の事等、色々だった。そんな中で奈穂は一度宏輝の話題を出そうとして躊躇した。
 なんだか出してはいけない話題のような気がしていたからだ。その話題を出すことは誰のためにもならない。そんな風に思っていた。
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