チカラ 第9話



  5月25日は今年に入ってから一番の暑さで、夏と錯覚してしまう程の陽気だった。
 この前に祐介や松野と話してから2週間近く経つが、今日まで新しい情報が入ったというニュースは聞いていない。中々前に進み出さない現状に奈穂は少しやきもきしていた。
 普段通りの生活を過ごしながら、宏輝やあかりの事を考え、色々な人に話を聞いたりするのは少し疲れたが、それ以上になんとかしたいという思いの方が強いのだ。
 それに学校だってつまらないわけではない。あかりもとりあえずは今までと変わらないように見えたし、最近は仁美も一緒にいる時間が増えてきた。あかりと仁美が意気投合するのも時間はかからなかった。
 現に今も、3人で一緒に食事をしているのだ。
 あかりや仁美のかわいらしい仕草を見ていると、何だか心が癒される気がする。
 本当は自分があかりのチカラになってあげたいんだけどな……。と奈穂は思ったが、そんなことを考えていても仕方ない。今はとにかく祐介を信じて、自分の出来ることを探していた方がいいのだろう。焦りは禁物だ。
「奈穂ちゃん、今ちょっといいか?」突然背後から声をかけられて、あかりと仁美と談笑していた奈穂は驚いた。声の主は祐介だった。
「ん?別に大丈夫だけど。ちょっとごめんね、行ってくる」2人に言い残して、奈穂は祐介と廊下へと移動した。
 恐らくあかりの前では話しづらい内容だろう。祐介や自分のしていることをあかりには知られたくなかったし、知られてしまっては意味がないと言ったのは祐介だ。
「今日の放課後、大事な話がある。松野から使えそうな情報を聞いたんだ。チャンスがきたぜ」
「本当に?」奈穂は自分のテンションが上がっていくのを実感していた。
「嘘でこんなこと言うわけ無いだろ」祐介の声色もどこかテンションが高いように感じられた。
 2週間前に進まなかった事が、やっと進展しそうなのだ、気持ちの昂ぶりを抑える方が難しいだろう。
「放課後、祐介の家に行けばいいの?」
「ああ。放課後、すぐにでも来てくれ。確か奈穂ちゃんのところ最後体育だろ?だから俺の方が先に家には着いているはずだ」
「りょーかい。また、家の前まで行ったら電話する」
「弁当食べてる途中にすまなかったな」祐介が軽く頭を下げた。
「気にしないで。私もずっと気になってたから」
「そういってもらえると助かるぜ。それじゃまたな」祐介はそれだけ言うと早足に奈穂の元から去っていった。多分これからも何かやることがあるのだろう。
 奈穂が自分の席に戻ると、それを待っていたかのようにあかりが口を開いた。
「最近、三澤君と良く話してるよね」三澤祐介は、宏輝の数少ない友人なのだ。あかりが気にしない訳が無いだろう。
「色々あって話す機会が増えてね。話をしてみると中々面白い奴なんだよ」今はまだ、あかりに全てを伝えるわけにはいかない。
 何か進展があったはずだ。もう少しの辛抱で、うまくいけば全てが元通りになるんだ。
 仁美は二人の様子を眺めていた。仁美は奈穂と祐介が良く話をしている理由をしっているはずだ。知っていても黙って居るのだ。奈穂の考えも分かっているし、あかりに対する気遣いでもあるのだろう。奈穂にはそういうところが宏輝と被って見えるのだ。
「そっか。私はてっきり奈穂と三澤君がつきあい始めたのかと……」あかりの口調は本気なのか、冗談なのかの区別がつかなかった。恐らくどっちでもあるんだろう。
 奈穂は少しどきっとした。そういう事実があるわけでは無いが、自らが祐介に対して特別な感情を抱き始めているのは気付いているのだ。
「それは無いって。夏の大会だってあるし、今はそんなことしてる場合じゃないんだから」照れ隠しに笑い、一気に言い切った。
「冗談だよ。そんな勢いよく否定しなくてもいいじゃない」あかりが笑いながら言った。
 仁美の方をちらっと見ると、控えめに笑っている。奈穂はなんだか全てを見透かされてしまった気がして、感情的になってしまった自分が恥ずかしく思えた。
「仁美は、そういう話はないの?」奈穂は照れくさかったので、仁美に話を振ってみた。仁美にもそういう浮いた話があるのかどうかは少し気になっていたのだ。
「私のことなんて、誰も見てないですよ」そう言っていつも通り控えめながらも、どこか自嘲的な笑いを浮かべた。「奈穂さんやあかりさんは素敵なんだから、何か勿体ない気がします」
「全然素敵じゃないよー。それに仁美は普通に可愛いと思うんだけどなぁ。男どもに見る目がないんだよ」奈穂が笑いながら言うと、あかりもうなずいていた。
 別にフォローをしたわけでは無く、正直な気持ちだった。
 それからは3人でどうやったら仁美の魅力が引き立つかを話していた。仁美は終始照れくさそうだったが、満更でもないようだった。
 褒められて嫌な気持ちになる人はいないだろうし、やっぱり高校生にもなれば多かれ少なかれ自らの魅力というものが気になる頃なのだろう。
 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、5,6時間目の体育の時間に近づいていた。3人は体操服に着替え、グラウンドに移動した。

 体育の授業もすぐに終わってしまったように感じられた。やっぱり身体を動かしているのが好きなのもあるし、放課後が待ち遠しいという気持ちが強かった。
 松野が祐介に教えた情報とは一体どういうものなのだろう。それが気になっていた。それも後何分かしたら全て分かるはずだ。さっきより胸の昂ぶりが強くなった気がする。
 奈穂は急いで制服に着替えると、用事があるということを仁美とあかりに伝え、学校を後にした。別にそこまで急ぐ必要はなかったのだろうが、気分的な問題だった。
 かといって焦りすぎるのも、失敗に繋がってしまう。奈穂ははやる気持ちを抑えるように、出来るだけゆっくりと歩くように心がけて祐介の家へと向かった。
 それでも祐介の家に着くまでにかかった時間はいつもより短かった。
 家の前に到着すると、いつものように携帯電話を取り出し、祐介に電話をかける。祐介はすぐに電話に出た。奈穂からかかってくる時間をあらかじめ予測していたのかもしれない。
「家の前まで来たよ」
「奈穂ちゃんのことだから、そろそろ来ると思ってたぜ。とりあえず、今そっち行く」それだけのやりとりで電話は切れた。
 祐介が現れるまでの約20秒が、なんだか凄く長く感じられた。
 祐介の話が気になるという気持ちが強いのは間違いないのだが、何だか自分が祐介と話をすることを期待しているようにも思えてきた。
「私は何を考えて居るんだ……」奈穂がそう呟いた瞬間に、扉が開き祐介が姿を現した。
 祐介に促されるままに、家へとあがりこむ。今日は祐介の祖母が挨拶に出てきてくれたので、簡単な挨拶を交わしてから、祐介の部屋へと移動した。
 完全に定位置となった所に腰を落ち着けると、奈穂はすぐに話を切り出した。
「一体、どんな情報を聞いたっていうのよ?」
「それなんだがな、結論から言うと、今度の日曜日。つまり明後日だな。高田慶広があかりちゃんに告白しようとしているらしい」
「え……」奈穂は一瞬言葉を失ってしまった。「それは本気なの?」
「多分な。自信があるんだろう。何でも委員会か何かが一緒で、そこで仲良くなったらしい。噂だとあかりちゃんも満更じゃなさそうな様子らしいぜ」
「そうなの?私にはそんな素振り全く見せてないけど」
「恐らく、あかりちゃんの心が弱っている所につけ込んで居るんだろう。それは勿論宏輝のことだ。裏で自分が傷つけておいて、それを利用して近づく。最悪のやり口だな」
「本当ね……。何が高田をそこまでさせてるっていうのよ?」
 奈穂は高田慶広がそこまであかりに固執する理由が全く理由が分からなかった。
「さぁな。高田慶広が何を考えているかなんて、分かりたくもないね」祐介は大きく息をついた。「だけど、高田慶広を受け入れてしまったらあかりちゃんが傷つく結果になることだけは想像できる」
「確かにね」奈穂はそうなった時の事を想像したくはなかった。想像するだけ無意味なことに思えたのだ。「それで、どうするつもりなのよ?」
「それなんだがな。俺が思うに、高田慶広があかりちゃんに接触するよりも先に、宏輝があかりちゃんの元に戻ればいいんだ。そうすれば、高田慶広がやってきた事は無意味になる。あかりちゃんの心の弱みが無くなるわけだからな」
「でも、そんなこと可能なの?」正直言って疑問だった。
「俺たちで可能にすればいい。宏輝に全てを話すんだ。話して、そこからは宏輝次第だな」
「なかなか強引な作戦ね……」
「これ位の方がちょうどいいかもしれないぜ。宏輝に、昔とは違うってことを教えてやるんだ。今は、奈穂ちゃんもいるし、俺もいる。他にも松野俊や堀仁美のチカラがあって、俺たちはここまでたどり着けた。そうすれば、きっと宏輝は出来るさ。後一踏ん張り、協力してくれるよな?」祐介の口調は相変わらず自信ありげだった。どこからその自信が出てくるのかが分からない。
「そりゃ、ここまで来たんだけど、勿論やるけどね。具体的に何をすればいいの?」
「明日、俺と一緒に宏輝と話をするんだ。そして俺たちは宏輝の味方だと教えればいい。多分、それで大丈夫だ。俺たちが宏輝を信じなきゃ、宏輝が俺たちを信じてくれる訳ない。だから、宏輝を信じるんだ」
「分かった。やるだけやって、後は宏輝を信じよう」奈穂は祐介の言葉を信じることにした。それだけの価値があると思ったのだ。「それで話ってどこでするの?」
「宏輝の家に行くのが一番だろうな。宏輝の家ならあかりちゃんの家にも近い、後のことも考えれば、理想的だ」
「そうね。何時くらいに行く?」
「出来る限り早いほうがいいが、まぁ、10時くらいが無難だろう。9時40分に駅で待ち合わせでどうだ?」ここで言う駅とは、宏輝の家の最寄り駅の事だ。
「りょーかい」奈穂は一応手帳にメモをとった。そしひっかかっていたいたことを聞いてみることにした。「祐介の作戦通りに、宏輝とあかりが元通りに戻ったとするよ。その後、高田慶広はどうするつもりなの?」
「高田は、俺に任せておいてくれ。個人的な感情として、俺は高田慶広を許せない。俺なりのやり方で、2度とこんな事出来ないようにしてやる」祐介にしては珍しく感情をあらわにした声だった。
「そんなこと出来るの?」
「今の世の中、一番強い武器は情報だ。そして俺は高田慶広に関する情報をたくさん持っているし、情報源となる松野俊だっている。やり方はいくらでもあると思うぜ。まぁ、任せてくれ。いずれ奈穂ちゃんにも伝わるはずだからな」何だかここまで感情的な祐介を見るのは初めての気がする。
 何がここまで祐介を感情的にさせているのだろうか。
 宏輝が傷つけられたことが原因なのか、高田慶広のやり方が気に入らないのか、それとも他に何か理由があるのか。どれだかは分からないが、ただ事では無い気がした。
「なぁ、奈穂ちゃん」先程とは打って変わった、寂しげな声だった。「どうして人間は、平穏に生きられないんだろう。どうして人間は、争いごとを起こすんだろう」
 奈穂は落ち着いて言葉を探して言った。
「私は……人の心に"欲望"というものがあるからだと思う。何かを欲しがる、他人が持ってるものを羨ましがる、そういうある意味では当たり前な、ある意味では自分勝手な感情がある内は、争いは無くならないのかもね」
 奈穂がここ最近感じていたことだ。結局今回の出来事だって、全ては高田慶広の"欲望"を満たすために、宏輝やあかりは傷ついたのだ。
「確かに、結局自分の欲望を受け入れてしまい、間違った道を選ぶ人間が多いのかもしれないな。どうして欲望を理性で抑えつけることが出来ないのだろう」
 祐介の寂しげな呟きを聞いて、恐らく両親の事を考えているのだろうと思った。奈穂はどういう言葉をかければいいのか分からなくなった。 「まぁ、俺の言ってることは、綺麗事の理想論なのかもしれないな……」祐介が吐き捨てたのを聞いて、奈穂は何かを言わなきゃいけないと思った。
「綺麗事でいいと思うよ。理想を追い求める事が間違っている訳ないじゃない」
「でも、社会や多くの大人は俺の考えなんて、ガキの考えだと一蹴するだろう。あのクソ親父がそうしたようにな」祐介が感情的になっている理由が分かった気がする。
 祐介は今でも自分の父親の事、父親のような人間のことを憎んでいる。おそらく高田慶広にも父親を重ね合わせているのだろう。奈穂は出来ることなら祐介の事も、助けてあげたいと思った。自分に出来ることはしたいと思った。
「それなら、社会や大人が間違ってるってことだよ。理想が間違ってるなんてことはあり得ないんだから。それが正しいから理想論っていうんだよ」
「でも、俺達はこれからその間違った社会で、間違った大人達に囲まれて生きていかなきゃいけないんだ」
「確かにそれはそうだよ。だけど、祐介がそれに合わせる必要は無いじゃん。祐介に出来ることをすればいい」
「俺に、そんな大きな事が出来るかな……」今日は新しい祐介を何人も見た気がするが、こんなに弱気な祐介を見るのは初めてだ。チカラになりたい。奈穂は強くそう思った。 「出来るよ。祐介なら出来る。現実祐介は宏輝を助けるためにここまでやってきて、後一歩で結果が出るところまできたんじゃん。それに、私がいる。私は応援するよ。多分宏輝だって応援してくれると思う。だから祐介が弱気になってちゃ駄目だよ」言ってしまってから、自分の発言にちょっとした照れくささを感じた。
「奈穂ちゃん……」祐介は珍しく何を言うのか迷っているようだった。「ありがとな。なんといっていいのか分からないけど、とにかく弱気になってちゃ駄目だよな!明日は決戦の日なんだ。俺と奈穂ちゃんが今までやってきた事の結果を、高田慶広に見せつけてやろうぜ!」そういって笑った。
 とりあえず、いつもの祐介に戻ったようで、奈穂はホッとしていた。そして、何だか祐介のチカラになれたようで嬉しかった。
 でも、今は明日のことを考えよう。自分のことは、それからだ。心の中で呟いた。




  宏輝がぼーっと天井を眺めていると、携帯電話がなりだした。相手を確認すると、祐介だった。
 この2週間近く、宏輝は何度も祐介に連絡をしてみようと思っていた。全てを話してしまおうかと思っていた。だけど結局勇気を出せなかった。
 宏輝は恐る恐る電話に出た。受話器の向こうから聞こえてきたのは、いつも通りの祐介の声だ。
 簡単に「久しぶり」という挨拶を済まし、少しの間雑談を続けていた。ごく普通の友人同士の会話だ。いつもと変わらない祐介と会話していると、なんだか心が満たされるような気がしてくる。失われた日常を取り戻せた気がするのだ。
「そういえば、今日電話した用件をまだ伝えてなかったな」10分程経ったところで、祐介が言った。
「ん?何?」
「明日、暇だよな?」
「まぁ、予定は何もないけど」
「それは良かった。明日、朝10時に奈穂ちゃんと二人でお前の家に行くからな。ちょっと話があるんだ」
 宏輝は思わず自分の耳を疑った。祐介と奈穂が僕に何の話があるのだろうか。心当たりが多すぎて、何のことだか分からない。もしかしたら、ただ遊びに来る可能性だってあるのだ。
「話?いったいどんな話?」
「それは明日になってからということでいいじゃないか」そこまで言うと、続きは明日だというように、雑談の続きを始めた。
 話をするのは楽しかったが、宏輝の頭の中の半分以上は、明日の話の内容にいってしまっていた。
 それから再び10分程話したところで、電話が切れた。
 一体話とは何なのだろう。学校のことだろうか。可能性は一番高いだろう。もうすぐ5月も終わってしまう。そろそろタイムリミットだ。
 ただ、なんとなく奈穂が一緒というのが気になった。
 奈穂と祐介だって面識はあるし、普通に話はするレベルだが、2人で宏輝の元を尋ねて来るというのは、宏輝の知っている二人の姿とは違う気がする。
 もしかしたら祐介の恋が実ったのかもしれないな。そんな考えも浮かんできた。祐介は奈穂に惚れているのだ。
 "恋"という言葉が浮かんだとき、頭の中にあかりの姿がよぎった。奈穂が居ると言うことは、もしかしたらあかり関係の何かなのかもしれない。選択肢が多すぎて、どれが答えだか全く分からない。
 どんな話が飛び出すか分からないのは怖くもあったが、宏輝はチャンスかもしれないと考えていた。ここ2週間連絡しようとしても勇気が出なかった相手が、自ら来てくれると言っているのだ。ある意味ではラッキーかもしれない。
 宏輝が勇気を出せれば、もしかしたら一緒に戦ってくれる仲間が見つかるかもしれないのだ。
 何のために二人が来るのかが分からないから、どうなるかは明日になってみないと分からない、だけど、何だか気分が少し軽くなった気がした。
 宏輝は明日が来るのが楽しみなような、やっぱり怖いような、微妙な感覚に陥っていた。
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